3.マルセイユ版の解説
歴史を知ったうえでマルセイユ版を見ると、混乱が明らかとなってくる。以下はその説明である。
・マルセイユ版タロットの図像の意味
まず基本的な事として、マルセイユ版タロットは1魔術師~10運命の輪と、11力~20審判の二つの物語に分かれている。
1魔術師~10運命の輪は『地上界』のカード群で、11力~20審判は『天界』のカード群である。これら二つのカード群は、足して20になるものが組になっているとされている(オポジショナル・カードと言うらしい)。確かにマルセイユ版は足して20となる組み合わせのカードは、一見関係しているように見える。確かに、マルセイユ版はそう作られているのかもしれないが、これは本来の組み合わせではないように思える。後期トライアンフの時点では大アルカナの順番には諸説あったということを思い出してほしい。順番は正しくとも、その組み合わせとは「足して20となるもの」なのかは疑うべきである。
そも足して20にならないものが、愚者(数が無い)、10運命の輪(自身と組になってしまう)、20審判(愚者に数が無い)、21世界と、四つも存在する。これについてはどう説明すればよいのだろう。
ここで一旦、足して20になるカードと例外のカードを肯定して見ていこう。無理があるのなら否定をすれば良いだけの話である。
※なお、カードの画像はフランス国立図書館から引用した。
・足して20になるカードたちと、例外のカードたち
1番魔術師と19番太陽は、すなわち魔術師が太陽神の現れであることを意味する。ここでいう太陽神のイメージは、エジプトの太陽神ラーが最も参考になるであろう。太陽は毎日沈んでは昇るので、輪廻転生を司っている。このことは単純だが重要な意味をもつ。
なお、タロットにおける最初のカードは愚者ではない。最初のカードは1の魔術師である。魔術師のテーブルにはいくつかの道具がある。一番右の物は、巾着袋に見える。その隣にある二つの尖った棒状のものは、右が鞘で、左が剣のように見える。そして、三つのダイスと、コップのようなものが三つ。更には線で繋がった三つの円が存在する。
手にしている物は何であろう。右手には硬貨を持っている。『どんぐり』であると言う説もあるのだが、これは誰が言いだしたのだろう。左手に持っているのは、棒状のものだが、これは杖であると考えられている。
ダイスはタロットがサイコロ遊びと関係していることを意味するのかもしれない。また、魔術には必要な物と考えられたのかもしれない。とにかく、ここで重要なのは魔術師が最初のカードにも関わらず、彼のテーブルには4元素を表すコップ(水)、杖(炎)、硬貨(土)、剣(風)を持っているということだ。このことは、魔術師こそが、復活した太陽神ラー、則ち再生した太陽神の現れたる王であることを意味する。再生した結果、記憶を無くして愚者となったと考えても良いが、そうなると愚者の次が魔術師なのはおかしな話である。再生した魔術師は、死んだ前世の魔術師と同一の存在である。だから最初から4元素を扱うことができるのである。


2番女教皇と18番月は、かつて暦法に太陽ではなく月が使われていたことを意味する。女教皇の教えとは暦、季節の教えであり、それら暦法を扱う者が古来女性であったことを意味する。エジプトのトート神は月との賭けに勝って時の支配権を得たという。トートは知性を司るため、ギリシア神話のヘルメースと同一視されている。ヘルメースは水星に関係するとされているが、彼とアプロディーテーとの間にヘルマプロディートスという息子が居る。この名はヘルメースとアプロディーテーの名が合体していると考えられるので、男が女装することで女神官の代わりを務めたことを神話化したものだろう。このことは後の5法皇において重要な意味を持つ。


3番女帝と17番星は、星に描かれる北極星とその周囲の大熊座のしっぽ部分(北斗七星)とが、女帝(古代の女王)そのものと密接に関係していることを意味する。大熊座はギリシア神話におけるアルテミスの従者(巫女)カリストーが天へと上げられたものであるとされている。北斗七星は大熊座のしっぽ部分であり、エジプトでは『牡牛の前脚』と考えられていた。牡牛の前脚とは生贄のことである。北斗七星の写しと考えられていたのが、有名なプレアデス星団である。プレアデス七姉妹は、春(四月中旬)に見えなくなり、初夏(五月中旬)に現れる。これはすなわち、聖王が四月中旬から五月中旬までは地上に顕れるものの、プレアデスが現れたなら一緒に天へと昇ってしまう、ということになる。また、五月中旬~来年の四月中旬の中間である11月、12月は大体中間にあたるため、死んでしまった王を追悼するための祭りが多々見受けられる。もちろん、地域によっては他の時季に聖王が王の身代わりとなる場合もあっただろうが、七つの星を考えるならば、プレアデスの不在期間を憶えておいて損はないだろう。
北極星は、世界樹信仰、世界軸信仰とも関係する動かない星である。エジプトにおけるジェド柱という概念は、「北極星と地球の間に、目には見えない世界軸(ジェド柱)があり、世界軸を通ってウシル(オシリス)が天界と地上界を行き来する」という考えである。そのように考えたのは何もエジプト人だけではなく、多くの国々では北極星が動かないことから、自らの所在地を世界軸の上であると考えていた。古代ギリシアのオムパロスのように世界女神(大地の女神)の『へそ』であると考えられることもあった。
ギリシア神話において、ゼウスは二羽の鷲を放つと、二羽は世界を横切り中心にて出会ったと言う。オムパロスはその中心を示す場所であるとされた。ここに出て来る二羽の鷲は明らかに雄と雌であろう。17星の図像には丁寧に『へそ』も描かれている。ここで太陽の女と世界の女を見てみよう。裸なのに『へそ』が描かれていない。
17星に描かれる世界女神が水瓶を地面へと注ぐのは、二つの水瓶の中にある魂が世界軸を通り、地上界へと流れること、すなわち復活せんとする二つの魂を意味する。タロットにおいて復活した魂は魔術師のみである(20審判にて復活するのは一人)が、星がわざわざ大地と海という領域に中身を注いでいるところから考えると、本来は1魔術師と2女教皇が復活した二組の神だったのかもしれない。しかし、女教皇は本を持っているだけで、4元素らしきものは持っていないし、殺されるのは魔術師だけである。
ジャン・ノブレのカードにおいて、女帝が正面を向いている(左右に偏っていない)ことは、女帝が星に描かれる世界女神の現れ(現人神)であることを示す。すなわち、地上界において、魔術師(聖王)と女教皇(巫女)との聖婚(ヒエロス・ガモス)を取り持つのは彼女ということになる。
女帝の持つ杖とは、王権、すなわち男性性を象徴する。抱えた鷲の盾は、かつて女神が鷲で象徴されていた(エジプトの女神ネクベト参照)ことから女性性を意味する。鷲は王権を表すとも考えられているため、男性性を表すと考える人もいるだろう。あるいは、ローマの双頭の鷲を想像するかもしれない。しかし、歴史を遡っていけば鷲が男だけを表すわけではない。女神も、その結婚相手も鷲と考えられていた。後に女神の要素が無くなったり(分かり難くなったり)、双頭の鷲という一体で表されたりした。
ウェイト版の『女帝』は分かりやすく、手に杖(男性性)を持ち、傍らに女性を意味するマークが描かれている。また、星と節制に描かれる杯は同一のものである。詳しくは節制にて解説する。


4番皇帝と16番神の家は、女帝の権利を奪った皇帝の運命を暗示しているとも考えられるが、その考えは元の図像から大きく意味がずれてしまっていると考えられる。ただ、マルセイユ版においては4皇帝が5法皇と共に死ぬという筋書きは、13死を見る限りは間違いない。しかし、13死にて描かれる二つの生首が皇帝と法皇であるとするならば、神の家に描かれる二人が皇帝と法皇では順番がおかしい。
伝統的には神の家とは崩壊が連想されるバベルの塔……ではなく、教会や病院を意味しているとされている。だが、この『神の家La Maison Dieu』は、『火事の家La Maison de Feu』の誤植である可能性があるらしい。図像を見て判断してみよう。
ジャン・ノブレの描いた『神の家』の右上には太陽がある。そして、砦の上部が折れて、中から火が立ち昇っているようには見える。決して太陽から炎が降ってきているわけではない。それは火の勢いを見れば明らかで、塔の内部で火事が発生しているようにしか見えない。更に言えば、右の金の輪を頭に着けている人物は「元々地面に寝っ転がっている」と考えた方が自然ではなかろうか。もしも、左の人物が『塔から落ちている』のではなく、『逆立ちをしているだけ』なのだとしたら、全体の印象はどうだろうか。此処まで来ると難癖だろうか。
ジャン・ノブレのカードではなく、ジャン・ドダル(1701年頃)の図像を今度は見てみよう。こちらにも太陽が右上に見られるが、方向から見て炎のような何かは塔から流れ出ている。二人の人物は年配の人物に見える。これが皇帝と法皇ということだろうか。
さらに新しいグリモー版(1848年)を見てみよう。なんと太陽が無い! 右上から何らかの力(炎と風?)が溢れてきている。二人の人物の顔がジャン・ノブレのカードに近くなっているのだが、右の者は金の輪を頭に着けていない。また、何か二つの物が落ちているが、これは何だろう。ジャン・ノブレ版(復刻)を見返すと、よく見たら天の色とりどりの丸とは違って、潰れた形の丸いものが三つある。ドダル版はどうだろうか。分かりにくいが、やはり潰れた丸いものが描かれている。もしかするとこれが答えを導いてくれるかもしれない。
ここで唐突だが、エジプトの呪文を紹介する。死者の書、第51章では、『冥界で逆さまに歩かないための呪文』が、第52章では『汚物(排泄物)を食べないための呪文』が、第53章では『汚物と汚水(尿)を口にしないための呪文』が記されている。
古代エジプト人は冥界(ドゥアト)にて逆立ちで歩かされ、排泄物を食べさせられる罰を与えられると考えていた。冥界では地上における秩序(マアト)とは真逆の原理が働いていると考えたため、それを何とかするために呪文が考えられたのだ。
以上を踏まえたうえで、16番神の家を見ると、下部に描かれている二人の人物は「塔から落ちている」のではなく、「逆立ちしている者と、地面に頭をつけて排泄物を口にしている者」に見えてこないだろうか。
となると、対応する4皇帝は正常な統治者により地上が統治されていることを表し、16は正常に統治されていないため秩序(マアト)が冥界のように逆転してしまっている状態を指すのだろうか。すると、皇帝は良い統治者になってしまう。皇帝の統治も冥界のようであると考えても良いのだろうが、冥界の秩序と地上の秩序がどちらも転倒しているというのは変である。
なんにせよ、『16神の家』の図像はマルセイユ版の中でも度々変更がなされていることは憶えておいて、一旦次の組み合わせへと進もう。




※16のカード 左、ジャン・ノブレ。右、ジャン・ドダル。下、グリモー(引用元Yale University Library)。
5番法皇と15番悪魔の関係を一言で言うのは難しい。まず、2番女教皇と18番月でも述べたが、超古代において神官職は女のみであった。そのため、古代におけるヘルマプロディートス(女装すれば男でも神事をしてもよい)的な考えが生まれ、後にキリスト教では女は重要な神職にはつけなくなった。しかし、悪魔の図を見て欲しい。両性具有である。しかし此処で、マルセイユ版において「法皇が両性具有の悪魔と同じである」と単純に考えるのは誤解を生む。確かに、タロットにおける顔の向きを考えれば、法皇が悪と考えられていたのは間違いない。太陽神ラーの現れたる魔術師と、その味方である女教皇は←左を向き、法皇と皇帝は右→を向いている。このことは13死において生首となった二人の人物が右→を向いていることから、「殺されるべき皇帝と法皇が、魔術師を身代わりの王(聖王)として殺した」こと、「しかし魔術師は12吊るされた男にて儀式的に死に、13死において悪事を働いた皇帝と法皇の首を切るだろう」ということを意味するのだろうか。12吊るされた男と、13死に関しては後に説明するが、1~10が地上界、11~20が天界だとするなら、12吊るされた男と13死は天界に属している。殺された1魔術師が死神となって復讐をする、という筋書きはまだ理解できるのだが、その前の12吊るされた男は必要なのだろうか。一旦、次の組み合わせへと進もう。


6番恋人と14番節制は、一見繋がりが分からないかもしれない。節制の本来の意味は、カップの2で表される男女の交わりである。節制と言う言葉からは全く想像できないので、この際節制は『カップの2』と考えて欲しい。以下に理由を述べる。
まずは節制と言う言葉だが、欲深くならず慎むことを意味する。ここで節制の図像を見てもらいたい。これを見て慎みを感じる者が居るのだろうか。日本語ではなく、フランス語にしてみよう。Tempéranceとは、節制、節食を意味する。同じである。無理やり考えるならば、杯から杯へと必要以上の水を分配しているのだろうか。あるいは、水を零さずにバランスが取れているという意味だろうか。なんにせよ、二つの杯の中の「水」は後に17星にて大地と川(海か、泉かもしれないが)へと流される。百歩譲って14番が節制とするならば、星には「台無し」とでも書くべきである。
また、この杯はキリスト教における聖杯ではない。キリスト教における聖杯とは、最後の晩餐に使った杯であるとされている。しかしここで描かれる杯や、ウェイト版のカップの2(2だけではないが)などの聖杯は、明らかに最後の晩餐に使った杯ではない。中にワインなど入っておらず、水が入っていることは明白である。ではこの水とは一体何なのだろうか。最初に言っておくが、飲み水ではない。
この14節制や17星に描かれる思想の根源は、筆者の知る限りでは、エジプトの『メッテルニヒの石碑』であろう。この石碑にはアセト(イシス)が息子のホルスを助けるため、ウシル(オシリス)の生命の水を引き出し、息子へと継承する物語が描かれている。図像としてはハルポクラテスという子供のホルスが描かれており、彼がワニを踏み、四体の害獣を手に掴んでいる。このことは1魔術師が最初から4元素を扱えることと同様、ハルポクラテス(子供のホルス)とはアセトとウシルの子供であり、かつウシルの復活した姿でもあることを意味する。エジプト人はこの石碑に水をかけ、滴り落ちたものを壺で受け止め、それを薬とした。記されている呪文の一部を引用するとこうである。
「ウシルよ、立ち上がりなさい。貴方の中から流れ出たものは、失われてはいない。
貴方の体から溢れるその流体は、ナイルの氾濫となり、大地に命を与える。
私はアセト、貴方の姉妹(妻)であり、魔術に長けた者である。
私は貴方の流体を、わが聖なる壺の中に集め、それを清めた。
この水はもはや死の水ではなく、永遠に循環する再生の水である」
この呪文は、「節制に描かれる片方の杯がウシルの物(男性器)であり、そこからアセトの壺(女性器)へと中身(精液)が注がれた結果、生命の水となった」という物語であることは明白である。それゆえ、節制における、杯と杯の合体は、男女の交わりであると考えられる。また、『生命の水』という所から、すぐさまハルポクラテスへと移り変わるわけではない。あくまでこの水とは儀式化されたアセトの壺の水となっている。本来ならば「ホルスが誕生する物語」だったはずだが、後に「既にハルポクラテスは産まれていて、死んでしまいそうだから生命の元、アセトの壺に入れられたウシルの流体を薬とした」という話になったのだろう。そこから、壺の水を大地へと注ぐという物語が星に描かれたと考えられる。また、節制の女神の頭には、大きい赤丸と三つの小さな白い丸がある。これは太陽と月であろう。ここからも男性(太陽)と女性(月)を表していることは明白である。ここまで来れば6恋人と組になっていることは納得できる話だろうか。
だが、6恋人の図像が特別分かりやすいかと言うとそうでもない。ジャン・ノブレ版において天使は目隠しをつけている。また、ヴィスコンティ版における6恋人に描かれる天使も目隠しをしている。更にヴィスコンティ版の運命の輪の中心に居る女性も目隠しをしている。これは何を意味するのだろうか。簡潔に述べるのならば、目隠しは生贄の死体を見ないようにするためのものである。超古代においては分からないが、少なくとも古代ローマにおけるユーピテルの祭司長は、死体を見ることを禁じられていた。正義の女神ユースティティアが目隠しをするのも、本来の理由は死した生贄を見ないためのものであったのかもしれない。ただ、絵画の全てにおいてクピードーが目隠しをされているわけでもないし、全ての正義の女神(ユースティティアであれ、ディケーであれ)が目隠しをされているわけでもない。そのため、色々な説や色々な意味を込めて絵画が描かれたり、彫刻が彫られたりされていたことは事実である。故に何でもかんでも生贄に関係すると決めつけるのはあまり良くない考えである。ただ、6恋人におけるクピードーのような天使に関して言えば、「恋は盲目である」とか「正確に狙いが付けられないので、恋は突然に訪れる」とか、もっともらしい理由が語られることが多いのだが、そうであったとして、後にクピードーの目隠しは外されている。ヴィスコンティ版の6恋人を見れば、クピードーが目隠しをしているにもかかわらず、手にした矢(槍のようにも見える)が明らかに男を刺し貫こうとしていることは明白であるし、1482年頃に描かれたボッティチェリの『春』では、目隠しをされているにも関わらず正確に三美神のうち一柱を射抜こうとしている。
以上の事を整理すると、少なくともマルセイユ版とヴィスコンティ版においては、「6恋人にて選ばれるとは、女神の結婚相手、すなわち生贄に選ばれたことを意味している」という超古代の図像を残しているということになる。また、顔の向きで見ると恋人に描かれる三人は、左の男が右を向き、中央の青年と右の女性は左を向いている。このことは中央の青年が1魔術師、右の女性が2女教皇、左の男が4皇帝であるということを意味する。
ここまで古代宗教的に説明したが、「節制や恋人が本来の古代信仰に由来する意味を図像に残しつつも、マルセイユ版においては、そのような解釈ではなくなってしまっている」、ということは留意しておかなければいけない。
タロットを見た者は、カードに節制と書かれていたのなら節制と読むしかない。恋人も、もしかしたら只の恋を表しているのかもしれない……しかし1魔術師から順に見るのなら、いや、順に見なくとも、そんなことはあり得ない。皇帝や女帝が俗な恋に関係していると考える方がおかしいであろう。そも古代において恋愛感情は社会的に優先度の高いものではない。また、誤植のあるカード『LEMPERANCE』でもあるので、フランス語では本来『節制』ですらないのかもしれない。


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