・古代宗教と超古代信仰の関係
名前から分かると思うが、まず『超古代信仰』が存在し、その次に『エジプト、ギリシア神話などの古代宗教』が現れ、その次に『キリスト教などの新時代宗教』が続く。もちろん、ギリシア神話のように『超古代』『古代』『新時代』の要素を兼ね備えている場合もある。そのため、宗教の歴史全体の大きな流れとして、『超古代信仰』、『古代宗教』、『新時代宗教』、という三つの段階があったと考えて欲しい。
では古代宗教より古い、超古代信仰とは一体何なのだろうか。なぜそれがタロットを考えるうえで重要なのだろうか。それは超古代信仰こそが数多の宗教を生み出した信仰、宗教の根本であり、現代にまで続く『男と女の対立』を産んでしまったからだ。タロットに描かれた、『ローマ対反ローマ』の対立構造は、過去に生じた根本的な女と男の対立の続篇を描いているにすぎない。すなわち、タロットでは基本的にローマ、キリスト教、男性を敵視している。再び体の向きの話をするが、愚者は男で、21世界の中心に居る者は女である。愚者の向きは右→を向いている。21世界の女は←左を向いている。
つまり、描かれた右向きのカードは愚か者であり、左向きのカードこそ正義である。ということなのだろうか。そうだとすれば、どうして女帝と正義は正面を向いていたはずが、後に女帝だけが右を向くように描かれたのだろうか。また、11力に描かれる女性は右を向き、右を向いている獅子の口を掴んでいる。男が愚かならどうして魔術師は左を向いているのだろうか。後に皇帝が魔術師と同じ左を向くように書かれてしまったのは何故だろうか。
・超古代人の男女観
ひとまずマルセイユ版タロットにおける疑問は保留し、超古代信仰の話をしよう。超古代信仰とは端的に言えば自然崇拝(アニミズム)であり、地母神と称される一柱の世界女神を中心に据えた信仰である。なお、地母神信仰と呼ばれることが多々あるのだが、この地母神と言う言葉は誤解を生むので、以下、地母神は世界女神と呼称を変え、地母神信仰は超古代信仰と呼称する。
超古代国家では巫女や女王が強大な権力を握っていた。ギリシア神話的に言えば、ガイアとウーラノス、そしてその子供たちであるティーターンたちが世界を統べていた時代のことである。ガイアは有名な大地の女神であるが、実のところ大地だけの神ではなく、世界全体の神である。この事から『21世界』の中心に描かれる女は、世界女神ガイアと同一視できる。
超古代崇拝とは輪廻を是とするのが特徴である。また、自然神の模倣をして女神の力を我が物にしようとした結果、生贄の概念を産んだ。また、殺される者の性別は基本的には男である。偶像の場合は女神像が砕かれるのだが、生きた人を使った生贄の場合には殆どの場合、男が殺される。そうして殺された生贄は世界女神と結婚できるとされ、超古代の母権性社会において生贄は罰や犠牲ではなく、世界女神に選ばれたことを意味し、誉あるものとされていた。
原始的な王の定義とは女王の結婚相手であるが、現代における結婚相手や王の概念とは違い、戦う(働く)力ではなく性的機能のみが重要視され、それが衰えると次の王(血の繋がりは特に関係がない)によって殺される定めにあった。このような生贄となる王の歴史は長く続いていた。古代エジプトにおいてはセド祭が有名である。
王の即位から30年後に行われるセド祭では、王は自身の体力を誇示する必要があった。出来なかった場合は新王に王位を奪われ、体力を認められたとしても、自身の像を地中に埋めた。このことは、元々セド祭にて王が殺されていたことを意味する。そも即位から三十年以上在位したファラオは少ない。にも関わらず、セド祭が初期王朝から最後の王朝まで残されていた事実は、古くは王よりも妃(女王、女神官)の方が上の立場にあったことを意味する。
ギリシア神話、エジプト神話などの古代宗教群は、超古代信仰から生贄の儀式を取り去り、男たちが社会的な権利を獲得しようとした結果生み出された宗教である。当初は男の地位を女と同等に、現代風に言えば男女平等を達成しようとした古代神話群には、輪廻転生の概念が一応は内包されている。例えば、ギリシア神話の冥界は薄暗い場所であるが再生を望んでいる魂が居るとされる。古代エジプトにおいてはミイラの概念、オシリスの神話などである。そのため、神への生贄の文化が残っている。古代宗教は、生贄を無くすのではなく、男から角のある動物へと置き換えたのだ。豚の場合もあるのだが、未だに雄の豚は「去勢すると味が美味くなる」などという迷信から生殖器を切り取られている。このような生贄になる動物にしたこと(していること)から逆算すれば、古代における生贄の男にしていたことも想像がつく。すなわちクロノスがゼウスに去勢されたように、古の王も、新たな王となる男によって去勢されたということになる。
なお、古代宗教において、生きている男を生贄にする場合も全く無いわけではなかった。古代宗教において生贄が人から獣へと正式に変更されたにもかかわらず、人間の男の生贄が捧げられることもあったという事実は、キリスト教社会において異教や異端を完全には廃絶できなかった事と同じく、古代世界において全世界に強力な監視体制を敷くことなどは土台無理な話であったからであろう。また、そのような古代に残った超古代の生贄を、『聖王』と呼ぶ。聖王の概念は複雑であるが、一つ例を挙げると、「本来死すべき王の身代わりとなって死ぬ男」の概念がある。これはタロット1~10番における図像の基盤となっている概念である。
生贄という概念が、男の反発や恨みを産み出したことは容易に想像がつくことである。実際の歴史も想像通りの道を辿った。男たちの中には超古代の儀式を無理やり変更しようとしたものもいたが、そのような男たちはオイディプースのように失敗した(集団から追放されるか、殺された)。実際に成功した男たちのとった方法とは、「無理やり全ての神話を作り変えるのではなく、どちらともとれるような神話を作り出し、それを根拠にする」方法であった。
そのような例の一つとして、ギリシア神話におけるアポローンが母を殺したオレステースを無罪とする話がある。光明神アポローンは「母とは子の産みの親ではなく、父が産んだ子供を腹の中で養育しているに過ぎない」とした。
科学技術が発達する前の時代、「母の子宮と父の精液が生殖に関係している」ということは分かっていたが、生殖において「母と父のどちらかが主導権を握っている」とも考えていた。そこで、母権的な人々は、精液はきっかけに過ぎないとした。父権的な人々はアポローンのように精液こそ本体であり、子宮はそれを養育する場所にすぎないと言った。
男たちはそれに追加して、「女神アテーナーが父神ゼウスの頭から生み出された」というような荒唐無稽な物語を論拠にした。しかし本来、アテーナーとは「自身から生まれた女神」であり、母メーティスの分身であった。この事はアテーナー誕生神話において遠回しに語られている。以下にアテーナー誕生神話を簡潔に記す。
知恵の女神メーティスはゼウスの最初の配偶者であった。しかし、「メーティスから生まれた男児はゼウスの地位を脅かすだろう」という、ガイアとウーラノスの予言を恐れたゼウスは、メーティスを飲み込んでしまった。ところが既に懐胎していたメーティスは、ゼウスの頭の中で生き続け、子供を産んだ。頭痛に耐えかねたゼウスは、ヘーラーが単独で産んだ息子、ヘーパイストスに頼んで頭を叩き割ってもらった。すると中から見目麗しい女神が武装した姿で飛び出てきた。その女神こそがアテーナーである。メーティスはアテーナーが産まれた後もゼウスの頭の中で生き続けたが、彼女からは体が失われたためにゼウスの頭痛は収まった。
この物語は前王ゼウスを新王ヘーパイストスが殺し、その血によって「女王は処女性を回復する」とされていた物語を改変した物である。本来、ゼウスはこの物語で死に、ヘーパイストスへと王位を譲らなくてはならなかった。
処女性を回復するとは、母が生まれ変わったことを意味する。すなわち古来の神性とは、見た目の美しさや力強さではなく、『永遠の再生能力』を意味していた。超古代においては男の神など存在せず、女神のみが存在する、とされていた。則ち、腹に子を宿す母のみが再生能力を持ち、腹から生み出された女は母の生まれ変わった姿である、と言う考えである。そのため男は、再生能力を持たない生殖のための道具以上のものではないと考えられていた。古代宗教を作り上げた男たちがその逆の説を言い張ったことは先に述べた。
ヘーパイストスとは、ゼウスの息子にあたる火と鍛冶の神なのだが、ヘーラーが単独で産んだため、血の繋がりは無いとされる。なお、戦神アレースもヘーラーが単独で産んだとされる。この事は古代において、王権に父と子の血の繋がりが考慮されていないことを意味する。また、「ヘーパイストスは、ゼウスとヘーラーの子である」とする場合もあるが、その場合は体が不自由なために天から追放され、9年のあいだ原初の海の女神エウリュノメーとテテュスに養育された後にオリュムポス山へと帰還する。
アテーナーが武装した姿(既に成長した姿)のままで現れたのは、アテーナーがゼウスの頭から産まれた時点で子供ではないことを意味するのだろうか。古代ギリシア人がどう考えていたかは分からないが、本来の意味としては決して女神が急成長を遂げたとか、女神には幼少期も老年期も存在しないという意味では無い。輪廻転生する女神には「処女」「母」「老婆」という三つの形態をとる場合が多い。そのため、処女神たるアテーナーも母神たるメーティスがいるわけで、残る老婆の姿はというとアテーナーの誕生には登場しない。だが、ギリシア神話内で語られていないわけではない。その老婆女神とはメデューサである。となると、アテーナーが処女女神とされたことは理にかなっている。すなわち、武装した状態で生まれたとき、アテーナーは子供だったはずである。なお、既に武装していたということは母メーティスの生まれ変わりであることを意味する。
メデューサはペルセウスによって首だけの姿にされても、完全に死んだわけではなく、その眼光で人を石に変える力を保持し続けた。これは本来、年老いて死んでしまった老婆女神の頭部を意味し、このことから生贄の首が切られるという儀式は、死んでしまった女神メデューサの模倣であるということを意味する。それゆえ、生贄となって殺される男は、本来は死んでしまう女神であった、と考えられる。
メデューサには処女として復活するという物語は無く、首だけで何故か生き続ける(魔力を保持し続ける)が、それは父権性社会が輪廻を否定し、現世に固執する傾向にあったための混乱である。これはルネサンス的混乱とは違って、「元の神話を知ってはいたが、無理やり父権的な神話へと作りかえた」ための混乱であろう。
古代ギリシア人も、古代ローマ人も、死んでしまった女神メデューサの頭部が、人々に死を齎すものであると考えていたが、その後に続く再生の力を持っているとは思わなかった。あるいは知っていたうえで、再生の力を女神から取り上げた。ギリシア神話において、ヘーラーに代表されるギリシア女神たちは、嫌々、あるいは無理やり男神と結婚することとなる。これは母権性社会に父権性社会が侵入してきたことを表す。
このように、ギリシアなどの古代宗教は、あくまで超古代信仰(各地に点在していた女性至上主義に起因する物語や風習)の続篇として、超古代神話に新しい古代神話をつけ足すことで、母権性社会を父権性社会が支配することを正当化した。ゼウスら新しいオリュムポス十二神の物語を、先行するガイアの物語にくっつけたということである。
超古代信仰から血生臭い生贄の儀式を引き継ぎつつも、当時差別されていた男に配慮したこと自体は称賛すべきところである。しかし、古代宗教群は後の時代になるにつれて徐々に、女神、輪廻、現世を否定する神話が付け足されていき、最終的には新しい宗教群へと変化したり、取って変わられたりしてしまう。ヨーロッパの場合、取って代わったものはキリスト教であったが、古代ギリシア社会の時点で既に男性優位社会へと変貌していたことは、歴史的な事実である。
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