・世界の歴史の根本的な問題
男性の生存権を獲得するため生まれた古代宗教群は、世界を平和にしたわけではなかった。当初は男女平等の要素を持っていた(オリュムポス十二神など)古代神話群は、世界そのものを表す世界女神の権能を数多の女神へと分解し、徐々にその地位を貶めていった。そして、生贄でしかなかった男を神格化し、女神の権能を奪い始めた。ギリシア神話だけを見ても、女神は小女神(ニュムペー)とされ、次は、現実での女神の現れ(現人神)とされていたはずの女王そのものにされ、その次は神に見初められた只の女にされ、終いには怪物(メデューサなど)にされてしまった。女神を男性化、あるいは悪魔化したのは、何もキリスト教が始めではない。キリスト教徒の手法は古代ギリシア人だけでなく、全ての古代宗教の根底にあった超古代信仰への反発、女への反発、そして男性至上主義的考えによって生まれたデマゴーグ(国家に恐ろしい危機が迫っているので考えるよりもまず行動をしなさい、と唱えた煽動者たち)の手法を模倣したに過ぎない。則ち、「戦のためには男の人員が必要である、そのため男を殺してはならない」と女に説いたのだ。そうして生存権を得た男たちは、最終的に「女神など居なかった、居たとしても女神とは恐ろしい怪物と同義である」とする『新時代宗教』群を作り出した。そして『近代、現代』という「女神や清らかな女性など何処にも存在しない」とする新時代宗教を拠り所にした『男性優位社会』が生み出された。
ヨーロッパにおいて古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルが重要視されるのは、「カエサルこそが、ローマにおける最後の母権社会的な王であった」と考えれば納得の評価であろう。カエサルは自らの正当性を女神ウェヌスによるものとしていた。そして息子同然であったブルトゥスによって殺された。新王ブルトゥスが前王カエサルを殺すことは、母権性社会においては何の問題もない行為であった。また、ブルトゥスはカエサルとは血が繋がっていないとされているが、カエサルはブルトゥスを実の子供同然に扱っていた。彼らの間に憎悪の感情は無かった。ブルトゥスは古来よりの方法でカエサルの後を継ごうとしただけであった。そのブルトゥスを殺したのが、初代ローマ皇帝アウグストゥスである。
・全世界に蔓延る差別
これら宗教改変、思想改変の大本にある考えは性差別である。しかし、そのことは宗教が差別の根本であると言うことを意味しない。
そもそも宗教とは、脳が進化した結果、あらゆる物事を分かるようになり、更には幻想までも抱くようになってしまった人類が、「身の回りにある自然から学び、この世が存在する理由、そして現実で生きる意味、更には死後のことをも思案する」ということが主目的の哲学ではなかったのか。輪廻転生の考えは死への怖れを解消するため、季節を通して生まれた救済の物語であって、生贄とされる男も、元はと言えば輪廻転生を土台とした季節神であった。また、季節神は首だけとなったメデューサのように女神とされた場合もある。とすると、超古代信仰の黎明期に男女差別は存在していなかったのではないか。
しかし絶対的な教義を用い、自分たちにとって都合の良い法を人々に強制する者たちが現れた。超古代の女神官、女王である。自らの腹から子を生み出せる女たちは、父が誰かを正確に知るのは困難であった超古代世界において親権を主張できたのだが、これは男(夫)が集団に対する権力を一切持たず、母(妻)の気分次第で離婚されたり集団から追放されたりすることを意味した。女神官たちはこの世の全ての力が女神に起因するとし、男を『愚者』と見なした。女よりも知性に欠けると考えられた男たちは、女に何を言っても理解されなかったので、悩んだ末に巫女の儀式を模倣したり女のふりをしたりして、自ら巫女の代役を務め、男にとって都合の悪い教義を徐々に変えていった。また、戦も男たちの権利向上に一役買った。戦の危機は王や戦士となる男の延命を正当化した。デマゴーグたちも、そもそもは自身の統治期間を延ばそうとするため、戦の危険性を女王に説いた超古代王の手法を模倣したのかもしれない。ともかく男たちは女が保持していた権利を徐々に自分の物にし、気づいたころには全ての武力と権力が男の手中に収まることとなった。その結果、今度は男たちが女を差別するようになってしまった。女は悪であり馬鹿であるという言説が世界各地で生まれた。強力で知恵ある母や老婆の概念は化け物化され、女は幼くあるべし、弱くあるべし、母や老婆は恐ろしい者であるという常識が産まれた。それは女たちが男たちにやってきたことの仕返しであった。女の差別に対する復讐であった。差別主義者が奇説を利用し差別を行うということは、超古代から現代において幾度となく行われてきた。それ故、宗教であろうが、哲学であろうが、化学であろうが、本来善悪などという概念の含まれていない純粋な論理を、諸悪の根源と見なすのは間違いである。たとえば悪人が包丁で殺人を犯したとして、包丁は殺人の根本的な原因だろうか。そんなことにはならない。
戦が終わり、国内が安定してくれば、男よりも女の地位が上がる。生贄が豊穣の神、則ち農耕の神と関係していることから、「超古代人が農耕技術によって豊かになった結果、女の立場が男よりも向上した」という結論が導き出せる。だが、豊かになったと言うのに異性を差別するようでは、さらなる復讐を産むだけである。この差別の連鎖は何も生まないどころか、生じた恨みの念から新たな悲劇が産み出されてしまう。科学技術は男性優位社会になった結果大いに進んだのかもしれないが、宗教、思想、精神的には超古代から人類は一歩も進んでいない。哲学に富んでいたとされる古代ギリシアだが、その実、男性至上主義に起因する腐敗が進んでいた。哲学や天文学に集中する賢者も居たが、彼らは一般的には変人扱いされ、多くの民から馬鹿にされる存在であった。悲劇、喜劇とは神話と哲学を、低俗にドラマ化したものに過ぎない。また、これら俗化した劇によってデマゴーグは民衆を洗脳し、無謀な戦を行った結果、古代都市国家アテーナイは破滅した(ペロポネソス戦争)。今の世にも本来神話であったはずの、俗化した悲劇や喜劇がのさばっている。その先に何が待ち受けているか。言わずもがなである。
超古代崇拝の変形である古代崇拝の先には、新時代宗教群が存在し、現代では無宗教、現実至上主義、そして虚無主義が台頭し始めている。彼らは生きる意味を見失い、多くの者が知性を捨て始めている。この世には明らかに沢山の物が存在しているのに、それらを無い物と考えるのは論理の破綻を引き起こすからである。世界にはこんなにも沢山の人が居るというのに、多くの人々は孤独を感じている。これは異常なことである。
差別や戦争の歴史を忘れてはいけないが、それは恨みを憶えておくためではなく、同じ過ちを繰り返さないためであり、次なる存在(神でも新人類でも何でも良い)へと進化するためである。身の回りの問題を忘却し、目の前の事だけに集中するのは自分に向けるデマゴギーである。未来の事なんて考えても仕方がないとか、過去のことを引きずっても仕方がないという意見は、一見正しいようで間違っている。もしも今だけを考えるのが正義ならば、貴方に名前などないはずである。なぜなら名前とは常に名付けられ続ける物ではなく、(自分の意思で改名したにせよ)過去、名付け親によって付けられたものだからである。また、未来の事を考えないと言うことは、明日の予定どころか一秒後のことすら考えないということになる。無理である。
もう良いのではありませんか。そろそろ見て見ぬふりをするのは止めませんか。復讐するにしても、既に女も男も十二分に苦しんだのではありませんか。恨んで殺して、殺されては恨んで、いつまで続けるつもりなのですか。
−4ー