・トリオンフィ
4ペトラルカという11世紀の詩人が居る。彼の詠んだ詩に『トリオンフィ(勝利) 』という詩がある。トリオンフィとはイタリア・ルネサンス期において人気のあった『トリオンフォ』という演劇行列の下敷きになっている詩である。
これらのトリオンフィ、トリオンフォを図像化したカードが15世紀に存在していた。ややこしいが、それを『トリオンフィ』という。トリオンフィという名前が初めて文献に登場するのは、1440年の事で、ジュスト・ジュスティの記録に遡る。また、このトリオンフィという名前が、後にトランプの語源になったと考えられている。
※注意 トランプという言葉は本来『切り札』の意味である。よく間違われるのだが、現在でもトランプ自体は単に『カード』あるいは『プレイング・カード』と呼ぶべきで、カード自体を『トランプ』と呼ぶのは間違っている。日本語では『かるた』が最も『カード』の音に近い語である。
では、この切り札の語源となったトリオンフィとは、どのようなカード群なのだろうか。最も古いトリオンフィは、1418年 から1425 の間に作られたとされる。このデッキ自体は失われてしまったが、説明文のコピーが残されているので、デッキの詳細が分かっている。全体枚数は60枚で、 「 4枚のキング、数札40枚、切り札16枚」であり、44枚の無地のスートカードは不死鳥と鳩をスートとしていた。また、16枚の切り札にはギリシア・ローマ神が描かれており、ディー・コンセンテース (オリュムポス十二神)のウルカヌス(火、鍛冶の神)は描かれず代わりにバッカス(葡萄酒の神)が描かれ、ウェスタは『炉の神』ではなく『火の神』とされ、残る4枚にはヘラクレス (英雄)、アイオロス (風の神) 、ダプネー (月桂樹の小女神)、クピードー (恋の神)が描かれていた。切り札は 「鷲、不死鳥、海鳩、鳩」の順番であり、表にすると以下の通りである。
| 数 | 鷲 | 数 | 不死鳥 | 数 | 海鳩 | 数 | 鳩 |
| 1 | ユーピテル | 2 | ユーノー | 3 | パラス (アテーナー) | 4 | ウェヌス |
| 5 | アポロ | 6 | ネプトゥーヌス | 7 | ディアーナ | 8 | バッカス |
| 9 | メルクリウス | 10 | マルス | 11 | ウェスタ | 12 | ケレース |
| 13 | ヘラクレス | 14 | アイオロス | 15 | ダプネー | 16 | クピードー |
・トリオンフィが大アルカナの原型なのか
トリオンフィは後に増量され、全体枚数が60枚から70枚、78枚と増大した。78枚とは現代のタロットと同一の枚数である。また、後期トライアンフは、殆どタロットと言っても差し支えのない物となっている。図像がギリシア、ローマの神々から、現在のタロットに使われるモチーフへと変更されてしまったのだ。
このことはトリオンフィがタロットの起源であり、枚数はプレイング・カードの52枚から60枚に、その後は徐々に増量されたことを意味するのだろうか。また、切り札の順序は地方によって異なり、ミラノでは『世界』が最も高位で、次に『天使(審判)』と続き、その考えはマルセイユ版タロット、すなわちジャン・ノブレのカードによって、ほぼ決定した。それではやはり、「大アルカナと小アルカナの起源が違えど、所詮、大アルカナは後に小アルカナに付け足されていったパーツでしかない」のだろうか。「神が描かれていたために、切り札であるとされていたから」なのだろうか。
もう一度考えて欲しい。14、15世紀とはキリスト教時代である。後に続く16、17世紀では魔女狩り全盛の時代である。「異教の神々が偉い」などという考えはあってはならない時代なのである。それではなぜ、中世に『ルネサンス』などという文化運動が存在するのだろうか。
中世ルネサンスとは端的に言って古代の神々の再発見である。しかしルネサンスは失敗に終わった。なぜなら古代の神話をキリスト教的解釈に帰結させようとしたため、無理が生じたからである。歴史的に見て古代宗教はルネサンスによって復活せず、むしろ魔女狩りという最悪の結果を産み出してしまった。社会に二つの思想が生まれ、人々は片方を善、もう片方を悪としてしまった。
しかしこのことは、タロットやトリオンフィの裏には明らかに『異教の考え』が内包されていたことを意味する。トリオンフィにおける切り札が「なんとなく、強そうな古代の神々を切り札に描きました」などという近代商業主義的理由で描かれたわけがない。トリオンフィに描かれるように、14世紀にオリュムポス十二神、ディー・コンセンテースなど古代の神々に言及することは命がけのことである。たとえ貴族と言えども、異教信仰は民の反感を買いかねない。あるいは、政敵に利用されることくらい容易に想像がつくであろう。
ルネサンスを鑑みれば、「タロットやトリオンフィは、古代の英知を再現、再構築しようとしたものの、完成させることが出来なかった」と考えられる。しかし、何の成果も無かったわけではない。ある者が『世界』の重要性に気付き、そして『21』という数字の重要性に気付いた。あるいは、異教徒から聞き出した。それが誰なのか、何人が気づき、何人が異教徒から聞き出したのか、その答えは分からない。分かることは、「トリオンフィの図像は元々神々の羅列であり、あまり物語性は見受けられなかった。しかし、後期トリオンフィやそれに続くタロットの図像には物語性が追加された」。このことから、ジャン・ノブレや、その師匠は、「タロットを正確に伝承する」というより、既にあった「トリオンフィを、更に進化させるため、日夜ルネサンス的探求と制作を続けていた」ということが分かる。ジャン・ノブレは師匠の考えを鵜呑みにはせず、進化した作品を作り上げようとしていた。おそらく、彼の師匠もそうだったのであろう。
まとめると、トリオンフィやヴィスコンティ版タロットとは、古代における『原タロット』をルネサンス期に再発見しようとして生み出された不完全な物である。では、それらの後継たるマルセイユ版はどうだろうか。残念ながら、さらなる進化をさせたものの、未完成に終わってしまったと言える。詳しい説明は後に述べるが、最もわかりやすい失敗は、キリスト教的モチーフと、異教的モチーフの両方を使ってしまっているところである。しかし、この未完成に意図があると考えてみると、どうだろう。
例えば、ジャン・ノブレのカードにおける『運命の輪』には『FORTUNE』ではなく『EORTUNE』と書かれている。『節制』にも『TEMPERANCE』ではなく『LEMPERANCE』と書かれている。また、魔術師の名前も『LE BATELEUR』ではなく『LL BATELEUR』であり、更には持っている杖は持ち手から上が描かれていない。図像だけでなく、これらの誤植も含めて、ジャン・ノブレが「あえて未完成のまま完成とした」と考えると、彼の意図が見えてくる。
則ち、マルセイユ版タロットとは、未来へと託された手紙なのではないか。キリスト教徒と異教徒が手を取り合える時代を作るため、差別のない平和な世界を作るため、あえて不完全な形で印刷し、迫害から守るため『遊具である』と偽って人々へと送られた書物なのではないか。ジャン・ノブレは、受け取った何者かがルネサンスを結実させてくれると信じていたのではないか。だからこそ、その想いに応えた多くの作者が、タロットを完成させようと試行錯誤をしてきたのではないのか。
そう考えるのならば、中世に生まれたタロットとは、時代に完成を妨げられた作品群ではあるが、決して遊具などではなく、製作者たちが追い求めた真実が内包された書物であるということになる。
・ジャン・ノブレの作ったマルセイユ版タロット
一旦、不完全ではあるが、タロットには真実が隠されていると仮定して、ジャン・ノブレのマルセイユ版タロットを分析してみよう。
マルセイユ版は現在でも手軽に手に取ることが出来るものであるが、その最も古い形であるジャン・ノブレの制作したタロットは、17世紀において作られたとされる。
マルセイユ版の特徴と言えば、愚者を除く大アルカナに1~21の数値が与えられていることだ。また、それぞれのカードは足して20になるものと組になるよう描かれているらしい。
繰り返しになるが、タロットにはキリスト教と異教という両方の図像が使われている。そのため、タロットの図像を見た多くの人が「ローマ対反ローマ」という対立構造が描かれているのだと考えてきた。これをルネサンス的混乱だと考えるのは容易い。なぜなら、古代宗教とキリスト教が無関係では無いとしても、古代ローマがキリスト教を弾圧し、後に国教にしたという話は、ローマ神話ではない。ローマの歴史である。もしもキリスト教受難の歴史を描くのであれば、弾圧からの復活ということになるが、タロットでは皇帝と教皇が悪役であり、すなわちキリスト教は悪側であるとされている。もちろん、神を悪と見なしていたわけではなく、あくまで皇帝と教皇が悪なのではあるが、ルネサンスは再発見である。これでは現在進行形の物語になってしまう。また、キリスト教が弾圧されていたということは、ルネサンスするまでもない事実である。
このことはタロットにおける分かりやすい問題である。15世紀のヴィスコンティ版やトリオンフィであれ、17世紀のマルセイユ版であれ、大アルカナが『古代宗教における22章の物語』をベースにしたルネサンス的作品であるにも関わらず、それらの章において主役(魔術師)と対立する存在を、古代には存在しなかった『キリスト教の権力者』というモチーフに変更してしまっているからである。
また、22章とは言ったが、そもそもトライアンフ(カード)には16枚の切り札しかなかったし、後に増量され22枚となった大アルカナにおいても、ジャン・ノブレは『21』という数字が重要な意味を持つと知っていた。しかし同時に、ジャン・ノブレは、大アルカナの全体枚数を22枚としてしまった。これは明確な間違いなのだろうか。それともこの全体枚数22枚は正しいのだろうか。
・図像における体の向き
マルセイユ版は古い物よりも明らかに進化している、とはいっても、どのあたりが進化しているのだろうか。一旦図像を見てみよう。分かりやすい点は体の向きである。タロットには『2女教皇』というカードが存在する。このカードはカトリックにおいて女性が司祭以上の職に就くことが認められていないため、「キリスト教的ではない」と言える。モチーフになったとされる伝説的な『女教皇ヨハンナ』は、創作された人物であるが、15世紀には実在が信じられていたらしい。此処でヨハンナについて深堀をするつもりはないので一旦話を元に戻すが、女教皇は反ローマを意味しているとされている。さらに重要なことはマルセイユ版における女教皇の体の向きである。
マルセイユ版タロットに描かれる登場者は、大きく分けて左向き、右向き、正面の三つに分けられる。まとめると以下の通りである。
『左を向いている登場者』
1魔術師。2女教皇。5教皇の下に居る右の人物。6恋人の中央の男と右の女。7戦車の騎手と馬。9賢者。10運命の輪に座る人物(おそらく女)と、回っている左の人物?。13死の死神。14節制の女。15悪魔の右下の人物?。17星の女。18月の右下に居る獣。19太陽の下の女。21世界の中心の女、牛。
『正面を向いている登場者』
3女帝。8正義。12吊るされた男。
15悪魔。18月そのもの。19太陽そのもの。
『右を向いている登場者』
愚者と彼の股間を狙っている獣。4皇帝。5法皇。6恋人の左の男?。11力の女と獅子。13死で殺された男と女?。18月の下に居る左の獣。19太陽の下に居る男。20審判の左の女。
その他。
『上を見ている者』
10運命の輪の右の獣。18月のザリガニ。20審判の右の男
『寄り目』
20審判の天使。21世界の右下の獣。
『分からない者』
5法皇の左下の人物。6恋人の天使。15悪魔の左下の者。20審判の棺から出る者。21世界の右上の鳥、左上の天使?。
マルセイユ版における5皇帝、3女帝、13死、18月などの向きは、最も古いジャン・ノブレのカードと、それ以外のマルセイユ版とで異なる。(なお、一部が同じという場合もある。例えば18月は、ジャン・ドダルのマルセイユ版において正面を向いている)
上記はジャン・ノブレ版の向きであるが、なぜこの向きは後になって変更されてしまったのだろうか。只何も考えずに後の作者が向きを変更したのだろうか。もちろん、そんなことは無いはずだ。なぜなら何にも意図が無いのであれば向きを変える必要が無いからだ。
マルセイユ版全ての変更の意味を知ることが本題ではない(そも不可能に近い)ので、とりあえずはジャン・ノブレのカードを基準にし、体の向きがなぜこのように設定されたのかという疑問を解消したいのだが、此処で前提知識が必要になる。古代宗教と、古代宗教よりも古い超古代信仰。そしてそれらに付随する生贄という概念である。
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