7番戦車と13番死は、単に戦争で人が死ぬことを意味するものではない。ジャン・ノブレ版において、戦車の騎手と二頭の馬は全員左を向いている。このことから戦車に描かれる男は魔術師と同一人物であることが分かる。また、死に描かれる死神は左を向いており、殺された二人の生首は共に右を向いている。すなわち、戦車の男とは女神と結婚することを約束された生贄の王、聖王であり、悪事を働いた皇帝と法皇を殺す死神でもある。だが、これはマルセイユ版における物語であるということを憶えておいて欲しい。なぜなら、超古代崇拝における死神とは、老婆女神であり、メデューサであるはずなのだから。
7戦車における馬は、二頭の馬で表される2女教皇と共に神殿へと向かっている。この馬はウェイト版においては白と黒のスフィンクス(女)である。この白と黒は、ウェイト版の2女教皇の脇に立つ二本の柱と同じである。ウェイト版を根拠にするというのはおかしな話であるが、アーサー・ウェイトも「戦車の馬は女教皇を意味している」と思っていたのかもしれない。とりあえず、そういう見方もあると考えても問題はないだろう。
13という数字はよく不吉な数であると言われるが、それは父権的な理屈から来るものであろう。月(女)の周期である28日を13回繰り返し(364日)、最後に1日を追加して365日とした古代の暦から分かるように、13とは女神を象徴する数字である。
それでは、13とは季節の終わりを意味し、やはり全ての終わりを意味するのだろうか。そうとするならば、現実的な図像となるが、それが11~20のカードが属す天界の物語に含まれているのは些か不自然に思える。本来の死の図像がヴィスコンティ版に記されていたにせよ、ジャン・ノブレが死から1魔術師が皇帝と法皇に復讐をするという物語を作り出してしまったのだろうか。真実は分からない。彼の師匠がそのような筋書きを思いついたのかもしれないからだ。
此処で犯人捜しは止めにして、「本来の生贄にとっての死とは、世界女神との結婚を意味していた」ということを思い出してほしい。すなわち、本来の13番には「世界女神との結婚」のような図像が描かれているはずであったと考えられる。また、13という数字は、古代における最後の月であると紹介したが、そもそも12月の次の数字である。格好良く言うのなら、黄道十二宮に1足した数であるとも考えられる。すなわち、13死の13とは、最後の13月ではなく、黄道十二宮の二週目、来年の一月を意味したのではないだろうか。ヘラクレスが12の功業を成し遂げると言う話は有名である。しかし、13という数字から古代における一年の最後の月が連想されてしまい、タロット13のような人の死を連想させるカードが作られてしまったのではないか。それならば12番に吊るされた男という「儀式的な死」が配置されていることも納得できるような気がしてこないだろうか。12月を越えて1月を迎えても、それが全ての終わりを意味するわけではない。となると、13は不吉な数字ではなく、むしろ復活が確定した縁起の良い数字へと変化する。


8番正義と12番吊るされた男は、現実での死と儀式的な死を意味する。だが、正義を見てこれが現実の死であるとは直感的に思えない。そこで、ウェイト版では11番の力が8番へと移行された。しかし、ウェイト版の8番力は、これまた現実での死をイメージできない。
マルセイユ版の11力の図は、女が獅子の口を開いている。獅子は王を象徴する生き物である。そのため、マルセイユ版における11力は、女王が王の廃位を決定する権力を握っていたことを図式化したカードに見える。しかし、なぜ11番なのだろう。ウェイト版では死のイメージがあった力の図像を変えて優しい女性とし、更には現実の死ならばと1~10の中、すなわち地上界のカード群へと入れた。それが間違いとは言わない。ウェイト版にはウェイト版なりの理由があったのだろうから。とにかく今はマルセイユ版タロットの話なので本題に戻って11正義の図を見てみよう。
この8番正義に描かれる女は女神だろうか。それとも女王や女神官だろうか。彼女の図像はギリシア神話における法の女神『テミス』に酷似していることは誰の眼にも明らかである。さらに、8正義の女は3女帝と同じく正面を向き、11力の女は右を向いている。このことから、8正義に描かれる女とは法の女神テミスなのだろうか。そうすると11力の女は太陽神ラー(魔術師)を殺してしまう法皇(元は女神官)のことなのだろうか。それならば、ウェイト版のように本来は8番が力で、11番が正義なのだとも考えられる。しかし、殺される獅子の顔の向きを見て欲しい。右を向いているのである。
そも、マルセイユ版タロットに描かれる右向きと左向きの対比とは何なのだろうか。それは則ち太陽の運行を表したものである。文化によって左右は異なるが、少なくともマルセイユ版タロットにおいては、左が西、右が東であると考えられる。なぜなら新しく生まれてきた魔術師が←左向きであり、彼を待ち構える皇帝と法皇が→右を向いているからである。そして、右向きの者こそ、本来死すべき存在であると考えていることは、13死に描かれる生首の向きからも分かる。
つまり、11力に描かれる女神とは、メデューサのような「死の老婆女神」が原型であろう。しかし、肝心の死神は13死にて←左向きの男死神となってしまっている。また、力における女神は→右を向いているが、法皇や皇帝のように悪を象徴するものではない。此処で一旦、11力に描かれたのは『女神』と『皇帝』であると考えて、正義の話に戻ろう。
8正義が女神か人間かと言う話だったが、この女性を「女神の模倣をした現実の女」と仮定して考えてみよう。女帝も同じく正面を向いているのだが、後に女帝は右向きとされ、すなわち魔術師を殺すことに加担していることを暗示するが、正義は常に正面を向いたままである。このことは正義が絶対的な善であることを意味するわけではない。正義によって殺されるのはあくまで魔術師である。マルセイユ版タロットは復讐の物語であり、王の身代わりとなって太陽神ラーが殺されることは確定している。そのため、正義の女は女帝と同一人物である(現実で聖王を殺す存在)と考えるのが妥当で、女帝が右を向くならば正義も右を向くべきであろう。
しかし、一旦この女性を女帝ではなく正義の女神と仮定してみよう。先ほど述べたテミスとは法の女神である。彼女は剣と天秤を持っているが、ギリシア神話における正義の女神はディケーであって、ディケーはテミスの娘にあたる。また、ディケーはローマ神話におけるユースティティアであり、ユースティティアはディケーだけではなくテミスとも同一視されたために、天秤と秤を持つことが多い。頭が混乱してしまいそうだが、一旦この女神は法の女神テミスではなく、正義の女神ディケーであるとしよう。
ここでヘーシオドス『仕事と日』から正義に関する文を以下に引用する。
「ペルセース(弟)よ。お前はディケーに従い、暴力を振るってはいけないぞ」
「暴力とは違う方角に、正義へと通じるもっと良い道がある」
「正義は最終的に暴力を打ち負かす。愚者は痛い目にあって初めて悟る」
これらの記述を考えるならば、正義に描かれる女とは、女神ディケーの声に従ったものの、暴力を用いてしまった人間を意味するのではないだろうか。冷静に考えて正義の女神が悪であるはずがない。となると、本来の正義とは違って「魔術師を殺してしまう」ため、描かれる女性の図像はやはり右を向いているほうが正しい気がする。
また、ギリシア神話には、アストライアーという女神が存在する。以下はその神話である。
アストライアーは、黄金時代が終わってしまい、争いや欲望に囚われ始めた人間たちに正義を説いていた。しかし何度正義を説いても人は過ちを犯すので、彼女は人類の愚かさに失望し、天へと帰ってしまう。おとめ座とはアストライアーであって、てんびん座の天秤とは、アストライアーの天秤なのである。
ここからこうは考えられないだろうか。
「8正義」が人間の女性で、アストライアーの天秤を模した偽物の天秤(故に正しくない正義)だけを持って、地上の生贄を裁く(暴力による解決)という図像なのではないか、と。
以上のことから、マルセイユ版の並びである8正義という順番は間違いではないのだろう。ただ、マルセイユ版において、右と左という太陽神の生まれる東、太陽神が死にゆく西、という考えに善悪の概念を付け加えてしまったことにより、復讐の物語のなかで、8正義(前を向いている)や、11力(右を向いている)の図が、全体の調和を乱しているように思える。
さて、ようやく8正義と対になる12吊るされた男の話になる。彼が組んでいる足は4の字となっており、これは現実の4元素を指す。それが逆になっているので、彼は死んだと言うことを意味する。しかし、あくまで儀式的な死である。4皇帝の足も4の字に組んでおり、これは現実における統治者を意味する。なぜ天界のカード群である12番で、儀式的な死が行われるかは、分からない。8正義との関連性も良く分からない。ここで一旦、吊るされた男の許になっているであろうオーディンの物語を紹介する。以下は吊るされたオーディンの神話である。
オーディンはルーンの秘密を知るために、世界樹(オーディンの馬=絞首台)で自ら首を吊った。九日九晩の間吊るされたオーディンは、ルーンの知恵と共に生還した。
以上の事から、吊るされた男は本来の図像を残していると考えられる。すると、正義とは本来、現実における死であるのだろうか。難しい所である。説明は後の隠者へと続く。


9隠者と11力は、11力が全体で浮いているカードなので一旦保留し、隠者の意味から考えてみよう。隠者は←左を向いているので、これは魔術師と同一人物であることが分かる。なぜ老け込んでいるのかという話だが、生贄とされた聖王(魔術師)は、季節神として殺された、ということを理解しなくてはならない。すなわち、聖王は殺される日までに春から冬までの「五つの時期」を体験する。古代ギリシアにおける五つの時期(季節と考えても良い)が一年の何処にあったかは都市国家ごとに違っていたので詳しくは分からない(筆者はそこまで詳しくない)。ただ、聖王が農耕から生まれた季節神であるとするなら、プレアデスの時期(4月中旬から5月中十の間だけ、聖王は生きている)の考えを取り入れても問題はないだろう。
6~10のカードが五つの時季を表していると考えれば、6恋人は春、7戦車はプレアデスの不在、8正義は夏、9隠者は秋、10運命の輪は冬なのだろうか。これは間違いではないのかもしれないが、ギリシアなど地中海の耕作を考えてみると、秋は刈り取りの時季ではない。刈り取りの時季はプレアデスの不在後となる。すなわち初夏である。そのため、6番は冬、7戦車は春、8正義はプレアデスの不在、9隠者の夏、10運命の輪の秋。となる。
これらのことはルネサンス期において隠者がサートゥルヌスと関係している、と考えられていた点からも間違いない。サートゥルヌスとはギリシア神話におけるクロノスの事である。クロノスと同一視するのなら、去勢された魔術師はその後、大地にばらまかれるという筋書きだったのだろう。クロノスの男性器が鎌で刈り取られる穀物を象徴しているならば、9賢者はクロノスの刈られる夏とするのが丁度良い。つまるところ、6恋人、7戦車、8正義、9隠者、10運命の輪とは、生贄の儀式が図式化されたものであり、それらを主導しているのは8正義となってしまう。ここまで証拠が揃うと、8番の正義に描かれる女性は、女神ではなく3の女帝であろう。
では、これらの考えから逆算して11力を考えてみよう。マルセイユ版において、本来死すべき王は4皇帝である。となれば、11力によって口を掴まれている右向きの獅子とは、既に殺された生贄である左向きの魔術師ではなく、右向きの本来死すべき4皇帝である。9隠者は本来殺されるべきではなかった生贄の聖王が性的能力を強制的に剥奪されてしまったことを意味し、力は本来死すべき王の牙(男性器)を抜こうとしているのである。このことから運命の輪で聖王を生贄に捧げた4皇帝も、結局は11力の象徴する老婆女神メデューサの邪眼からは逃れられなかったということになる。また、復讐の観点で言えば、正義が正しい女神の力によって行使されたとも考えることが出来る。おそらくジャン・ノブレもそう考えていたのかもしれない。後にウェイト版が11正義とされたことから、アーサー・ウェイトもそう考えていたのかもしれない。しかし本来の11力とは『時の力』であろう。そこに善悪はなかったはずだ。何者も逃れられない時間が齎す死は、13死ではなく11力にこそ与えられるべき名前であろう。また、その死とは再生がセットであることも忘れてはならない。故に痛ましい描写のみが描かれると言うのはおかしい。
ところで、8正義は12吊るされた男と組であるとされるが、上記の意味では8正義とは聖王の統治期間(王の身代わりとして40日間だけ王の扱いを受ける)といったものとなる。つまり、8正義は現実の死を意味していない。あえて言うならば『偽りの栄光』である。それが吊るされた男とどういう関係があるのだろう。


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