5番法皇と15番悪魔の関係を一言で言うのは難しい。まず、2番女教皇と18番月でも述べたが、超古代において神官職は女のみによって構成されてでいた。そのため、古代におけるヘルマプロディートス(女装すれば男でも神事をしてもよい)的な考えが生まれ、後にキリスト教では女は重要な神職にはつけなくなった。悪魔の図を見て欲しい。両性具有として描かれている(乳房と男性器)。此処で、「法皇が両性具有の悪魔と同じである」と単純に考えるのは誤解を生む。

確かに、タロットにおける顔の向きを考えれば、法皇が悪と考えられていたのは間違いない。太陽神ラーの現れたる魔術師と、その味方である女教皇は←左を向き、法皇と皇帝は右→を向いている。このことは13死において生首となった二人の人物が右→を向いていることから、「殺されるべき皇帝と法皇が、魔術師を身代わりの王(聖王)として殺した」こと、「しかし魔術師は12吊るされた男にて儀式的に死に、13死において悪事を働いた皇帝と法皇の首を切るだろう」ということを意味するのだろうか。

12吊るされた男と、13死に関しては後に説明するが、1~10が地上界、11~20が天界だとするなら、12吊るされた男と13死は天界に属している。殺された1魔術師が死神となって復讐をする、という筋書きはまだ理解できるのだが、その前の12吊るされた男は必要なのだろうか。一旦、次の組み合わせへと進もう。

タロット法皇
タロット悪魔

6番恋人と14番節制は、一見繋がりが分からないかもしれない。節制の本来の意味は、ウェイト版のカップの2で表される男女の交わりであろう。節制と言う言葉からは全く想像できないので、この際、節制は『ウェイト版に描かれるカップの2』と考えて欲しい。以下に理由を述べる。

まずは節制と言う言葉だが、欲深くならず慎むことを意味する。ここで節制の図像を見てもらいたい。これを見て慎みを感じる者が居るのだろうか。日本語ではなく、フランス語にしてみよう。Tempéranceとは、節制、節食を意味する。同じである。無理やり考えるならば、杯から杯へと必要以上の水を分配しているのだろうか。あるいは、水を零さずにバランスが取れているという意味だろうか。なんにせよ、二つの杯の中の「水」は後に17星にて大地と川(海か、泉かもしれないが)へと流される。百歩譲って14番が節制とするならば、星には「台無し」とでも書くべきである。

また、この杯はキリスト教における聖杯ではない。キリスト教における聖杯とは、最後の晩餐に使った杯であるとされている。しかしここで描かれる杯や、ウェイト版のカップの2(2だけではないが)などの聖杯は、明らかに最後の晩餐に使った杯ではない。中にワインなど入っておらず、水が入っていることは明白である。ではこの水とは一体何なのだろうか。最初に言っておくが、飲み水ではない。

この14節制や17星に描かれる思想の根源は、筆者の知る限りでは、エジプトの『メッテルニヒの石碑』であろう。この石碑にはアセト(イシス)が息子のホルスを助けるため、ウシル(オシリス)の生命の水を引き出し、息子へと継承する物語が描かれている。図像としてはハルポクラテスという子供のホルスが描かれており、彼がワニを踏み、四体の害獣を手に掴んでいる。このことは1魔術師が最初から4元素を扱えることと同様、ハルポクラテス(子供のホルス)とはアセトとウシルの子供であり、かつウシルの復活した姿でもあることを意味する。エジプト人はこの石碑に水をかけ、滴り落ちたものを壺で受け止め、それを薬とした。記されている呪文の一部を引用するとこうである。

「ウシルよ、立ち上がりなさい。貴方の中から流れ出たものは、失われてはいない。

貴方の体から溢れるその流体は、ナイルの氾濫となり、大地に命を与える。

私はアセト、貴方の姉妹(妻)であり、魔術に長けた者である。

私は貴方の流体を、わが聖なる壺の中に集め、それを清めた。

この水はもはや死の水ではなく、永遠に循環する再生の水である」

この呪文は、「節制に描かれる片方の杯がウシルの物(男性器)であり、そこからアセトの壺(女性器)へと中身(精液)が注がれた結果、生命の水となった」という物語であることは明白である。それゆえ、節制における、杯と杯の合体は、男女の交わりであると考えられる。

また、『生命の水』から、すぐさまハルポクラテスへと移り変わるわけではない。あくまでこの水とは儀式化されたアセトの壺の水(薬)となっている。本来ならば「ホルスが誕生する物語」だったはずだろうが、後に「既にハルポクラテスは産まれていて、死んでしまいそうだから生命の元、アセトの壺に入れられたウシルの流体を薬とした」という話になったのだろう。そこから、壺の水を大地へと注ぐという物語が17星に描かれたと考えられる。つまり、「女神が生命の水を、病んだ地上へと注ぐ」ということである。ここで重要なのは、「生命の水」が、「雨の恵み」ではないという点である。これは親(ウシル)から子(ハルポクラテス)へと受け継がれる魂であって、しかもそれは「薬」の要素を持つ。すなわち、救世主(ラー、ハルポクラテス)は病んだ地上を治すために復活するということである。

節制の女神の頭には、大きい赤丸と三つの小さな白い丸がある。これは太陽と月であろう。ここからも男性(太陽)と女性(月)を表していることは明白である。ここまで来れば6恋人と組になっていることは納得できる話に思える。

だが、6恋人の図像が特別分かりやすいかと言うとそうでもない。ジャン・ノブレ版において天使は目隠しをつけている。また、ヴィスコンティ版における6恋人に描かれる天使も目隠しをしている。更にヴィスコンティ版の運命の輪の中心に居る女性も目隠しをしている。これは何を意味するのだろうか。

簡潔に述べるのならば、目隠しは生贄の死体を見ないようにするためのものである。超古代においては分からない(筆者が知らないだけかもしれない)が、少なくとも古代ローマにおけるユーピテルの祭司長は、死体を見ることを禁じられていた。正義の女神ユースティティアが目隠しをするのも、本来の理由は死した生贄を見ないためのものであったのかもしれない。

ただ、絵画の全てにおいてクピードーが目隠しをされているわけでもないし、全ての正義の女神(ユースティティアであれ、ディケーであれ)が目隠しをされているわけでもないし、目隠しが由緒正しいというわけでもない。そのため、色々な説や色々な意味を込めて絵画が描かれたり、彫刻が彫られたりされていたことは事実である。故に何でもかんでも生贄に関係すると決めつけるのは良くない。

ただ、6恋人におけるクピードーのような天使に関して言えば、「恋は盲目である」とか「正確に狙いが付けられないので、恋は突然に訪れる」とか、もっともらしい理由が語られることが多い。そうであったとして、後にクピードーの目隠しは外されている。ヴィスコンティ版の6恋人を見れば、クピードーが目隠しをしているにもかかわらず、手にした矢(槍のようにも見える)が明らかに男を刺し貫こうとしていることは明白であるし、1482年頃に描かれたボッティチェリの『春』では、目隠しをされているにも関わらず正確に三美神のうち一柱を射抜こうとしている。

以上の事を整理すると、少なくともマルセイユ版とヴィスコンティ版においては、「6恋人にて選ばれるとは、女神の結婚相手、すなわち生贄に選ばれたことを意味している」という超古代の図像を残しているということになる。また、顔の向きで見ると恋人に描かれる三人は、左の男(女性とみる人もいるらしいが、どうみても男であろう)が右→を向き、中央の青年(左の男を睨んでいる)と右の女性は左←を向いている。このことは中央の青年が1魔術師、右の女性が2女教皇、左の男が4皇帝であるということを意味する。

ここまで古代宗教的に説明したが、「節制や恋人が本来の古代信仰に由来する意味を図像に残しつつも、マルセイユ版においては、そのような解釈ではなくなってしまっている」、ということは留意しておかなければいけない。

タロットを見た者は、カードに節制と書かれていたのなら節制と読むしかない。恋人も、もしかしたら只の恋を表しているのかもしれない……しかし1魔術師から順に見るのなら、いや、順に見なくとも、そんなことはあり得ない。皇帝や女帝が俗な恋に関係していると考える方がおかしいであろう。そも古代において恋愛感情は社会的に優先度の高いものではなかった。もっと言えば「恋愛という概念が発達していなかった」。結婚する古代人にとって最も重要なことは、恋愛感情ではなく、いかに共同体のために子孫を残せるかであった。だからこそ王であっても、「健康な者」、「生殖能力に優れている者」でなくてはいけなかったし、そのような力が衰える老年になれば「国を守るための将軍」という道しか残されていなかった。

なお、誤植のあるカード『LEMPERANCE』でもあるので、本来『節制』ですらないのかもしれないことに注意。

タロット恋人
タロット節制
ヴィスコンティ恋人

※右はヴィスコンティ版の恋人

7番戦車と13番死は、単に戦争で人が死ぬことを意味するものではない。ジャン・ノブレ版において、戦車の騎手と二頭の馬は全員左を向いている。このことから戦車に描かれる男は魔術師と同一人物であることが分かる。また、死に描かれる死神は左を向いており、殺された二人の生首は共に右を向いている。すなわち、戦車の男とは女神と結婚することを約束された生贄の王、聖王であり、悪事を働いた皇帝と法皇を殺す死神でもある。だが、これはマルセイユ版における物語であるということに注意しておいて欲しい。なぜなら、超古代崇拝における死神とは、老婆女神であり、メデューサであるはずだからだ。殺された男が復讐をする場合、それは『悪霊』であって『死神』ではない。

7戦車における馬は、二頭の馬で表される2女教皇と共に神殿へと向かっている。この馬はウェイト版においては白と黒のスフィンクス(女)である。この白と黒は、ウェイト版の2女教皇の脇に立つ二本の柱と同じである。ウェイト版を根拠にするというのはおかしな話であるが、アーサー・ウェイトも「戦車の馬は女教皇を意味している」と思っていたのかもしれない。とりあえず、そういう見方もあると考えても問題はないだろう。

13という数字はよく不吉な数であると言われるが、それは父権的な理屈から来るものであろう。月(女)の周期である28日を13回繰り返し(364日)、最後に1日を追加して365日とした古代の暦から分かるように、13とは女神を象徴する数字である。

それでは、13とは季節の終わりを意味し、やはり全ての終わりを意味するのだろうか。そうとするならば、現実的な図像となるが、それが11~20のカードが属す天界の物語に含まれているのは些か不自然に思える。本来の死の図像がヴィスコンティ版に記されていたにせよ、ジャン・ノブレが死から1魔術師が皇帝と法皇に復讐をするという物語を作り出してしまったのだろうか。真実は分からない。彼の師匠がそのような筋書きを思いついたのかもしれないからだ。

此処で犯人捜しは止めにして、「本来の生贄にとっての死とは、世界女神との結婚を意味していた」ということを思い出してほしい。すなわち、本来の13番には「世界女神との結婚」のような図像が描かれているはずであったと考えられる。また、13という数字は、古代における最後の月であると紹介したが、そもそも12月の次の数字である。格好良く言うのなら、黄道十二宮に1足した数であるとも考えられる。すなわち、13死の13とは、最後の13月ではなく、黄道十二宮の二週目、来年の一月を意味したのではないだろうか。ヘラクレスが12の功業を成し遂げると言う話は有名である。来年の一月という概念を表すならば、「春の開花」のような図像の方があっている気がしてくる。しかし、13という数字から古代における一年の最後の月が連想されてしまい、タロット13のような人の死を連想させるカードが作られてしまったのではないか。それならば12番に吊るされた男という「儀式的な死」が配置されていることも納得できるような気がしてこないだろうか。12月を越えて1月を迎えても、それが全ての終わりを意味するわけではない。となると、13は不吉な数字ではなく、むしろ復活が確定した縁起の良い数字へと変化する。のだが、13死を見て「これは縁起の良い札だ」と考える者はいないだろう。

タロット戦車
タロット死神

次回はマルセイユ版8と12の組み合わせから9と11の組み合わせの考察です

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